‘イベント・行事’ カテゴリーのアーカイブ
東大社春季例祭
2011/04/08◆1800年以上前に景行天皇が東国を巡幸された際、東海の鎮護として祀られました。
“おおじん様”の名で親しまれ、豊作、大漁、家内安全の神様として地域の信仰を集めています。
東日本大震災による計り知れない被害、昨夜も大きな地震がありましたが、一刻も早い復興と安心な日々が訪れますように・・・お祈りいたしました。
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午後1時・長野県飯綱町より相澤町長ほか6名の皆様が来庁されました。
■たくさんの雪の中で貯蔵した「雪ねむりりんご」と義援金を頂戴いたしました。

「いちごの国」と「りんごの国」のキャッチボールということで始まった地域間交流。
長野県から6時間かけて、思いやりの気持ちと一緒にお届けいただきました。
長野県と千葉県、遠く離れてはいますが、困った時はお互いに助け合えるような両町でありたいと思います。
町民のみなさまのしあわせのために、元気にがんばります!!
本当にありがとうございました。
■今度は、ふれあいまつりにお出でください。
東庄中学校入学式
2011/04/07東庄中学校の入学式に出席をいたしました。
新一年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
今、東日本大震災により被災された方々はもちろん、日本中が、想像を遥かに超えた大震災後の対応対策で大変な思いをしています。
東庄町でも近隣市ほどではありませんが、住宅の屋根瓦が落ちたり、道路の亀裂や陥没など町中で大きな被害を受けました。
3月11日、午前中は皆さんの先輩の卒業式の日でした。
「がんばれば夢はかなう!」という言葉と心からのエールを送りお祝いのことばとさせていただきました。
被災地では、津波により学校ごと流されるなど多くの子どもたちが命を落とし、今も行方不明となっています。
多くの学校が再開できない状態で、深い悲しみの中で卒業式が行われ、また、入学式もプレハブや間借りした校舎で行われるそうです。
人間は小さなものです。
大きな自然には到底かないませんが、被災した現実に立ち向かい努力をする、そしてその人たちに、自分たちには何ができるか?という思いやりの心で支えることにより大きな力が生まれるのだと思います。
東庄町としても何か支援できたらと考えています。
一日も早い復興をみなさんとともにお祈りいたします。
何よりも「命」は大切です。
「日にあらた、日々に新たに、」先ほど皆さんが歌った東庄中学校校歌にもあるように、夢や目標をもち一日一日を大切に、学習や部活動に打ち込み、困難に打ち勝つ強い「心」と「体」をつくり、また、相手を思いやる心や感動する心を大切に、明るく元気いっぱいに過ごしてほしいと思います。
みなさんの豊かな未来に向けて精一杯応援していきたい。
新入生の皆さんのたくましい成長を心から祈念してお祝いの言葉といたします。
高齢者叙勲伝達式
2011/04/05退職者送別式=多目的ホール=
2011/03/316名の職員に退職辞令を交付し、送別式を行いました。
3月をもって退職をされる6人の皆さんの送別式にあたり、東庄町を代表して、感謝の言葉を申し上げます。
皆さんには、それぞれ長い間、東庄町に勤務され、町の発展にご尽力をいただきました。
そのご労苦に心から敬意を表し、お礼申し上げます。
町は、3月11日、14時46分と15時16分に発生した2度の今まで経験したことのない大地震による災害対応に追われ、皆さんのこれまでの労をねぎらう機会もないまま、今日の日を迎えた訳であります。
行政として災害時の緊急対応には一致団結、連携によるすばやい対応対策が大事であり、町民の命を守らなければなりませんし、守ることがつとめであります。
そういう意味でも皆さんには、退職をされる日まで、ご尽力をいただきました。
「生涯現役」という言葉があります。意味は、生涯現役で働き続けるということではなく、生涯現役で生きて行くという事です。
それは、生涯に渡って自分の望む方法で、社会との関わりを持って生きていくことです。
自分の命、そして人を大切に、持っている能力を発揮し、前向きに明るく、これからも社会の役に立つ存在として、人から感謝される道を歩んで行ってほしいと思います。
これまでの人生の大きな部分を、町の職員として、ふるさと東庄町を創ってくれたことに、感謝するとともに、これからも、それぞれの立場で、すばらしいふるさとを創る一員として活動していただきたいと思います。
まずは、ゆっくり疲れをとって、そしてこれからの第2の人生を「自分が主役」となり、謳歌してください。
皆さんの「これからの人生」にエールを送り、ご健康とご多幸を心からご祈念申し上げ、挨拶とさせていただきます。
長い間ありがとうございました。
◆町では、今も、災害対策本部を設置中です。
時折、ビクッとする余震もあります。
退職の日、午後3時からの送別式の少し前まで防災服を着て、仕事をしていただきました。
本当に大変な平成23年3月でした。
そしていろいろな意味で心に残る3月31日となりました。
鹿島祭頭祭 =鹿島の棒祭り=
2011/03/09毎年11月3日に開催している東庄ふれあいまつり(昨年は第23回)。
ここ数年、司会進行をお願いしているのが浪曲師の玉川奈々福さんです。
奈々福さんのうなる浪曲に天保水滸伝「鹿島の棒祭り」があります。
その「鹿島の棒祭り」祭頭祭を見せていただきました。
今年の左方は日川郷。
日川(神栖市)と私の住んでいる笹川(東庄町)とは、渡船により行き来のあったところでもあり、親戚や知人も多いことから「行ってみようか!」ということになりました。
毎年3月9日に鹿島地方に春を呼び、人々の健康や豊作を願って行われています
祭頭祭の神事は午前中に執行され、午後から祭頭囃の行列が本陣を出立。
私が鹿島神宮に着いた午後3時。
丁度、日川郷の色鮮やかな衣装の囃人が、囃唄を歌い、樫の棒を組みながら威勢のよい囃し込みが始まったところでした。
戸数630戸の日川地区から総勢650名の方(ご高齢の方から小さな子供たちまで)が一生懸命に習い参加をされていて、東庄町のお祭りもそうであるように「先人が大事にしてきた伝統を、また次の世代に引き継いでいく。」という結束と意気込みを感じました。
左方日川郷大総督・保立松太君は、お孫さんです。
「子供からお年寄りまで、お祭りに参加をしています。町の中で子供たちが挨拶できるようになり、お祭りを地域の祭りとしていくのは大切なこと。地域の連携はお金にはかえられない宝物としてのこり、無縁社会をつくらない事につながります。」
・・・とのお話をいただきました。
※「東庄」とうのしょうの地名=千葉一族の胤頼が支配、<東氏>を名乗る。
頼朝の天下統一に大活躍した千葉氏には、その功績として房総半島各地に領地が与えられました。
東庄一帯は、千葉常胤の6男にあたる胤頼が治めることとなり、胤頼は<東六郎太夫 とうのろくろうたいふ>と名乗りました。
東庄の地名はここに始まります。
お祭りが大好きな私。
見せていただいて良かったです!!































