‘プライベート’ カテゴリーのアーカイブ

朋あり 遠方より来る​・・・

2011/09/23

友がいて、遠路たずねてくれる、遠路訪ねる友がいる。
・・・亦楽しからずや。

8/20、ご縁があり、徳島市で研修会の講師を務めさせていただきました。
私を講師にと紹介していただいたのは、徳島県美馬郡つるぎ町半田病院(国保病院)事業管理者の三村先生です。
つるぎ町半田は、6年前から知人として交流させていただいている藤原虎男さんの住む町でもあります。
昨年は、兼西つるぎ町長にお世話になり、香川県綾川町での全国国保診療施設協議会現地研究会会場のホテルで再会をすることができました。
その際、半田病院の看護師長・事務長も紹介いただきました。
今回の研修会には、半田病院の看護師長も出席をされ、再会することができました。
そして、藤原さんとお会いするのは三度目となりました。
8/21、藤原さんと徳島市に住む藤原さんの長女の旦那さんの案内で渦の道や霊山寺を見学、昼食会をしていただいたり、おかげさまで楽しい旅にもなりました。

■渦の道

8/22、せっかくの機会でもあり、徳島から岡山まで電車を乗り継ぎ、友人宅にお邪魔をさせていただくことにしていました。

私の大学時代からの友人・岡山県井原市在住の鳥越俊男氏。
少し前までタツモ株式会社の社長でした。
現在は、会長をつとめています。
昭和47年に設立。
「常識」への挑戦を掲げ液晶用カラーフィルター製造装置で世界トップシェアを獲得した会社です。
大学を経て、サラリーマン生活を送っていましたが故郷に戻り、父親から32歳の時に製造会社の経営を任されました。
父親からは「お前の好きなようにやってみろ」と言われ、その時は技術的なことは何もわからず、頭を抱えてしまったが、そこから挑戦は始まりました。
「いろいろ考える中で何でもいいからぶつかってやろう、跳ね返されても絶対にクリアする。」と言う強い決意をし、あらゆる可能性を求めて常識に挑戦し、会社独自の開発・技術・製品を生みだしてきました。


最寄の駅に車で迎えに来てもらい、鳥越さん宅を訪問。
今年亡くなられたお父さんのご仏壇に機会があったら、お線香をあげ手を合わせたいという思いがありました。
鳥越さんが、平成10年6月、突然の病気で亡くなった妻の葬儀に岡山から駆けつけてくれたことを忘れていません。

会った瞬間から、帰りの岡山の駅まで送ってもらい別れるまで・・・とにかくお互いにしゃべり続けました。
5年ほど前に一度出張先で、あったきりでした。
現在療養中の彼は、鼻に酸素の管を入れ、ボンベを持ちながらの生活。
丁度その日は闘病中の知人が急に亡くなり気落ちしていると話していました。
それでも、これからの自分自身についてはとても前向きです。
たまたま夫婦して病気になり、二人とも入退院を繰り返している時に、父親が亡くなり、大変な思いをしたと話してはいましたが、今はその明るく元気なところに圧倒される感もありました。

■お互いに再会を喜び

ほんの数時間の再会となりましたが、とにかく楽しい時間を過ごすことができ、またお世話になったお父さんにもご仏前でお礼と近況報告をさせていただきました。

友の存在に感謝をしています。
普段、岡山と千葉で離れて生活はしますが、お互いに精一杯今を生きること!!
再会を楽しみに。

三日間、不思議な縁や人と人のつながり・友人の有難さを実感しました。

秋の彼岸入り

2011/09/20

■萩と版画「東庄音頭を踊る群像」

今日は、彼岸入りです。
先祖の霊をしのび、感謝の気持ちを持ち供養したい・・・。

平成17年9月2日、役場に問い合わせの電話がありました。
戦後60年の節目の年に、次兄(昭和20年1月20日戦死・海軍)のお墓を昭和25年にお参りしたきりになっているので、もう一度訪ねたいが、地名やお寺の名前も定かではない。
東庄町に「ふなど村」という地名と「万福寺」というお寺はありませんか?
・・・というお尋ねでした。
なんとか記憶をたどっていただきながら、調べた結果、茨城県の「長戸村」・「新福寺」(現在の稲敷市)であるということがわかりました。

二ヵ月後の11月6日、次兄のお墓参りを実現されました。
まず現在管理をされている逢善寺(稲敷市)を訪ねることになり、前日の5日、徳島県を出て鹿島セントラルホテルに宿泊。
翌6日は、JR小見川駅から電車に乗る前に、近いと言うこともあり、日曜日でしたが役場にお寄りいただきました。

その方が、徳島県美馬郡つるぎ町半田の藤原虎男さん(昭和4年生まれ)です。
その日、私は出張で福島県に行くことになっていました。
一度役場に出て、藤原さんと面会、「想い」をお聞きし・・・藤原さんに私の出張する車に乗っていただき、一緒に逢善寺を訪ねました。

藤原さんは、住職さんの案内で、次兄のお墓参り。
私は、福島県へ。

・・・それがご縁となり、藤原さんにはその後も二度お会いしました。

■2011/8/21渦の道・・・藤原さんと。

お彼岸には、家族でお墓参りをしたい。

祭り囃子が聞こえてく​ると・・・

2011/07/30

毎年7月の最終土曜日は、諏訪神社秋季大祭です。

祭りの日は私にとって特別な一日です。
数年前までは、諏訪神社秋季大祭は7月27日(私の誕生日)に行われていて、誕生日は祭りでした。
そんなこともあってか、私は、子どものころから祭りが大好きです。
今でも笛や太鼓の祭り囃子が聞こえてくると、普段の私はどこかに行ってしまいます。
普段は離れて住んでいる4人の子どもたちと3人の孫たちも祭りの日は必ず勢揃いし、家を空っぽにして、みんなで祭りに夢中になります。

■無我夢中で鐘を・・・

■山車の上で、鐘を鳴らす私を3人の娘たちと孫娘2人が応援してくれます。

■山車の引き回しの休憩時、祭りならではの楽しい一時。

みんなが汗を流し、祭りに没頭、祭り以外のことは頭にありません。親兄弟、親戚、遠くの友人、みんなの笑顔があります。
祭りは、コミュニケーションの最たるもの・・・。

・・・祭りがすんで、また静かな家の中に。

満64歳を迎えました。

2011/07/27

7月27日、私は満64歳を迎えました。

2011年1月21日より、5期目の町政を担わせていただいております。
これからは、一番育てなければならないことは地域の人間力であると思います。
まちづくりの基軸は人であり、協力と熱意であると思います。

「安心・安全」ということで、町内公共施設の耐震改修工事は、昨年末に完了いたしました。
次の段階は、個々の家庭の耐震対策であると思います。
学校教育に関しては、ひとつの思索として義務教育6・3制の区分けを、1-4年と、5・6年中学1-3年の4・5制にすることも良いのではないかという私案ももっています。
笹川→河口堰間のバイパスの完成、下水道については、各家庭における合併浄化槽の普及、まちの活性化につながる取り組みなど、常に目指すものに向かって努力していきたい。

自分自身の健康管理をしっかりと・・・。

■7月下旬桁沼耕地。稲穂が出始めました。

絆の花・・・

2011/06/15

今また耳にすることが多いことば「絆」。

先日、あやめ祭りにお招きをいただいた際に、水生植物園で地域の復興を願い植栽したハナショウブ「絆」。
また一昨年、町の活性化を願い開催されたイベント「絆の花コンサート」。
東庄町在住の中村明幸さん作詞の歌・「絆の花」やダンスナンバー・バラードなどを4人兄弟姉妹のダンスコーラスグループbless4が熱唱、大盛況でした。

目には見えないが大切な「絆」、絆は町を動かす力にもなります。

―――

今日6月15日は、妻の13回目の命日で、長男32歳の誕生日です。
突然の病で亡くなってから13年、家族の目に見えない絆を深める日々でした。
普段は意識したり感じない夫婦や親子の絆。
・・・でもいつも頭から離れない強い結びつき。
簡単に切れてしまうことはありません。

■6.15夕暮れ時

もうすぐ64歳の私。
疲れた時は休息も大事と感じるこの頃です。

眼にやさしい風景 2

2011/05/19

今の季節、夕陽は川面に映り、青葉若葉の緑と同じように眼にもやさしく映ります。

■黒部川に架かる笹川新橋

■ここにも黄菖蒲・・・

■川面に映る夕陽

■もうすぐに・・・また明日

宮城県石巻市では、津波で海水に浸かってしまった水田で、田植えが始まったとニュースで知りました。
午前9時30分から、東総用水土地改良区理事会に出席いたしました。
大震災で土地改良区内の農道や農業用水の送水施設等に大きな被害を受けました。
懸命の復旧作業が行われ、おかげで例年よりも大きな遅れは無く田植えが済み、苗も順調に生育しています。

―――

私は、ご飯が好きです。
炊飯器も入念に選び、水加減を含め自分の好みに合った炊き方にもこだわっています。

大震災後の今また、時代を振り返ると、私が小学校に上がった昭和30年当時、日本は経済復興の真っ只中にありました。
それは、社会が何も無いところから何かを創り出そうとする生気にあふれた時代であり、日本の「ものづくり」が諸外国から認められつつある頃でした。
その当時の「ものづくり」から生まれた物に、無名の日本人家族が完成させて東芝から発売された自動電気釜がありました。
今でも記憶にあるのですが、私が8歳の時に父親が買ってきたのは、正にこの自動電気釜でした。
とにかく当時の日本の台所を劇的に変えた電気製品であり、町工場の一家族の知恵と努力の結晶であったのです。
試行錯誤を繰り返す、ひたむきに努力をすることでは、「農業」も「ものづくり」と同じだと思う。
東庄町は、農業の町であり、米も野菜も美味しいものがたくさんとれ、養豚も盛んです。
新鮮で安全・安心な食べ物が地元でとれると言うことは幸せです。
これからも、美味しいご飯を食べ元気を出して行きます!
(ついつい食べ過ぎてしまうので、そこはちょっと注意しながら・・・。)

◆象印から、また凄い電気釜が発売された。
何か聞いただけでワクワクする。
=それにしても日本の「ものづくり」はすごい!!=

眼にやさしい風景

2011/05/18

田舎の風景は、青葉若葉の緑に包まれ、「風青し」吹く風も清々しく感じます。

■朝の黒部川上流

■下流(東庄町)

■JR成田線沿いに咲く黄菖蒲・・・水田や川の風景に似合います。

■水田も少しずつ緑に

■黒部川沿いの水田

眼にやさしい風景は、気持ちを穏やかにしてくれます。

昨日までは出張が続きましたが、今日は、一日執務室です。
半袖のワイシャツでいると、暑くも寒くもなく過ごしやすいお天気になりました。
昼食のちょっと迷いながら食べた「たぬきそば(大)」には、さすがに汗が出ましたが。
普段から汗かきの私・・・個人的にもこれから迎えるこれまでにない節電の夏にむけ対策を考慮しています。
数年前から、自宅には朝顔のグリーンカーテンを作り、暑さよけをしていましたが、プラス何か良い方法はないものかと・・・。

―――

今年、役場庁舎にグリーンカーテンを作ろうと職員がゴーヤの種を町内の電気屋さんからいただき、プランターにまきました。
今のところ芽の出方がふぞろいのうえ、苗を買い足そうとしましたが、手に入りません。
初めてのゴーヤのグリーンカーテン作りが早くもピンチです。

※余っている苗がありましたら、分けていただきたいです。

「くさや」の話が縁で​・・・

2011/04/28

先日、東京都大島町役場から藤井静男町長さんの退任挨拶状(4月29日)をいただきました。
町長選挙に出馬はされないということは前に聞いていましたが、あっという間に退任される日になりました。
藤井町長さんとは平成15年関東町村会海外行政視察(ドイツ・フランス)に参加させていただき一緒になりました。
これまで何度か視察に参加させていただきましたが、特に印象に残る良い旅でした。

■平成15年7月19日・ライン河畔の街と後方に広がるワイン畑をバックに
左から私・藤井大島町長・向後元飯岡町長。

旅の途中、どういう訳か「くさや」の話になり、私が「大島では、普通にくさやを食べるんですか?」と聞くと「くさやは、島では普通に食べています。においを気にしなければ美味しい。」と・・・。
「くさやはくさい!」と話には聞いていましたが、食べたことのなかった私にはちょっとびっくり!だったことを憶えています。

大島の藤井町長さんを訪ねたいという、最初の目的はくさやに挑戦するためだったことを思い出しました。
大島町では、今日退任式が行われたことと思います。
退任される前に一度お会いしたいと思い、連絡をさせていただき日程調整をしていましたが、東日本大震災の影響もあり叶いませんでした。

ユニークな人とのお付き合いは楽しいです。
東庄町にお出でいただくというのも良いですが、いつか大島を訪ねたいと思います。
長い間大島町のために、おつかれさまでした。

強風に山や空が白く

2011/04/27

風がビュービューと音を立てふいています。
一昨日から、不安になるような変わったお天気です。

■執務室からの風景

カラスが凧のようになりながら飛んで行ってます!!

今日は、会議もなく執務室での一日でした。

我が家の花見

2011/04/26

昨日から晴れたり曇ったり、風が強くなったりと変わりやすいお天気が続いています。

■満開の霧島つつじ

一人で見ているだけではもったいない・・・友人を呼びお昼休みのミニお花見会をしました。
昼食は、アサリとタケノコの炊き込みご飯と味噌汁、タケノコの煮物、お新香、近所のお店の惣菜(コロッケ)にデザートにはスイカというメニューです。
「一緒に・・・」というのは、良いものです。

午後、東日本大震災の被災地、宮城県涌谷町・大橋荘冶町長さん(全国国民健康保険診療施設協議会)と福島県浪江町・山本幸男元議長さん(香取神宮神幸祭)に連絡をさせていただきました。
涌谷町では、亡くなられた方や行方不明の方、家屋の全半壊、道路、水道と大きな被害を受けましたが、やはり懸命の対応対策中でした。
浪江町役場は二本松市役所の支所で臨時役場として対応をしています。
大変な状況下、申し訳ないと思いながらも電話をさせていただきました。
有り難いことに早速山本さんに連絡をとっていただき、直接お話をすることができました。

山本さん家族は、現在三箇所に分かれて避難生活をされていて、山本さん自身は、会津の避難先から飼っている馬や牛が心配で往復6時間かけ通っているとのことでした。
原発事故により役場どころか町民が町に住めないというのは、復興も何も自分たちではできません。
本当につらい思いをされていると思いますが、・・・お元気でした。
私としては、すぐに直接支援できる訳ではありませんが、お元気に懸命に努力されていることに安心いたしました。

これからも人と人との出会いを大切にしていきたい。
がんばろう!!

岩田利雄プロフォール
2025年5月
« 4月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  
アーカイブ